この作品について
執筆時期:1988~2014年
雪の残る丹沢の里山の風景です。民家の色合いが山々に溶け込むような一体感、人の営みは大いなる自然のなかでは、小さき細胞の集合体のように見えます。サインはありません。
山本義一
過去には、光風会、示現会、新槐樹社に所属
神奈川県知事賞、神奈川新聞社賞ほか。
静岡県南伊豆町の山奥で製糸場を営む農家に生まれ、生活の場として山に親しんできた。
学生時代から絵を描くも、20歳で関東軍、日本陸軍兵士として満洲に。
現地除隊し、満洲生活必需品株式会社勤務、法政大学夜間部に学ぶが終戦。
引揚後は、警察予備隊、自衛隊を経て会社勤務の仕事の傍ら、『光風会』、『示現会』、『新槐樹社』に所属し、主に風景画、静物画、人物画を描く。銀座『ギャラリーぎんご』で初個展、日展、二科展出展。
会社定年後は、西東京市から神奈川県中郡二宮町に移住し、ふるさと南伊豆に似た、山と海が暮らしの近くにある湘南の風景画を描く。
絵画教室を開催、二宮の象徴ともいえる吾妻山や地域のなにげない一角を切り取った風景画を多く描く。春と秋には、仲間たちと長野県などに絵を描く小旅行を楽しむ。
茅ケ崎、二宮町生涯学習センター『ラディアン』ギャラリー、二宮町ふたみ記念館、平塚美術館などで毎年、展示を続けてきた。
いわゆる登山者の視点ではなく、もっぱら里山の風景、人の暮らしの背景にある山を描いている。製糸場を営んでいた山の中の生家を慈しむように、失われつつある古い民家を描いた絵も多い。描くのが早く、ほとんど現地で仕上げてから、号を大きくして何枚も同じ構図を描いている。
1996年には八重山諸島の竹富島で、戦地沖縄本島とはまた異なる桃源郷のような赤瓦屋根の集落を歩き、赤瓦屋根の民家の竹富島シリーズ11点を描く。
ふるさとに似た湘南の風景、生まれ育った山の風景、そして南島の風景を描くことで、戦争で傷ついた自身の心を癒すことができたのではないだろうか。
2003年、イラク戦争の報道に触れ、80代にしてはじめて自身の満洲からの引揚体験と向き合い、150号の戦争体験画を描く。表現という行為、アートのもつ癒しの力は、表現者自身を慰め、観る者のこころにも響く。
おそらく遺言として描いた戦争体験画には、戦争の悲惨さではなく、子を守ろうとする母の愛が、そして鎮魂の祈りが描かれている。
2014年95歳で死去。翌2015年には、沖縄県竹富島の赤瓦屋根の民家の町並みを描いた竹富島シリーズを、竹富島『ゆがふ館』ギャラリーで遺作展示。竹富島シリーズに戦争体験画1点を加えた構成で、沖縄愛楽園交流会館ギャラリー、琉球新報天久本社ギャラリー、那覇市ぶんかテンブス館、そして二宮町『ラディアン』ギャラリーにて、遺作展を巡回展示。
2016年、2017年、二宮町『ラディアン』ギャラリーにて遺作展を開催。
2019年には台風被害により、あらたにアトリエから同名の戦争体験画80号がみつかる。
2枚の戦争体験画『噫、牡丹江よ!』は、西新宿住友ビル33階の平和祈念展示資料館に収蔵されることになり、同年、二宮町『ラディアン』ギャラリーにて記念遺作展を開催。
現在、2枚の戦争体験画は修復を終え、一般公開を待つ。